July 11, 2009

2009年版夏の暑中読書録-その50-柳宗悦「手仕事の日本」

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写真は柳宗悦[2003]「手仕事の日本」 ワイド版岩波文庫
地方に行くとどこにでも、名産品と並んで民芸品の紹介があって、民芸が日本国中で盛んであるかのようなな印象を受ける。自分も世間一般の知識や見識しか持ち合わせぬが、地域の活性化とのペアということでのブームとするならもう少し考えてみる必要性がありそうだ。自分は国内を旅行するのも嫌いではないが、よくある特産品コーナーや民芸品展示というのは実は苦手であった。何となくコマーシャリズムが見え隠れしてじっくり旅を楽しむ気持ちから遠くなったしまうように感ずるかもしれない。
民芸運動の中心人物いうべきは柳宗悦氏で「手仕事の日本」という代表的な著作がある。
この本では日本全国の津々浦々の民芸品が紹介されている。この本は戦後初めての昭和二十一年(1946年)に上梓されているので60年もたった今日、伝承する人もなく消えていったものもあるに違いない。
「元来我国を『手の国』と呼んでもよいくらいだと思います。国民の手の器用さは誰も気付くところであります。」(*)


(この稿未完)


(*)柳[2003]p13

参考文献
(1)柳宗悦[2003]「手仕事の日本」 ワイド版岩波文庫

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July 10, 2009

2009年版夏の暑中読書録-その48-金沢正剛「中世音楽の精神史-グレゴリオ聖歌からルネサンス音楽へ」

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写真は「中世音楽の精神史-グレゴリオ聖歌からルネサンス音楽へ」
阿部謹也氏の言われるように西欧の近代化とういうことを考えると日本が明治以降に導入したのが17~19世紀の西欧であるなら、その前の中世の西欧を知ることが欠落しているのは問題であろう。不案内な音楽史であるがわれわれ日本人が代表的な西欧音楽と考えているのやはりバッハやヘンデル以降とということになるとこの面でもやはり十分とは言えないのかもしれない。また阿部氏が言われるようにその時代を知ることはその時代を生きた人がどのような生活、音楽を聴いていたことも知ることが大切なことであろう。
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写真は「十二世紀ルネサンス」
一方、音楽というものの位置づけは日本と欧州でのそれはかなり異なっていたようである。伊東俊太郎先生の「十二世紀ルネサンス」によれば、十二世紀ルネサンスのルートは、三つあって第一にスペインルート、第二にシチリアルート、第三に北イタリア・ルートがあったそうであ。アラビア社会からのアリストテレス等のギリシャ文化の流入が行われた。その一つの拠点となったのがシャルトル学派であった。ここではリベラルアーツが重視され、数学的学科として四科(幾何学、天文学、算術、音楽)と文科的学科(文法、修辞学、弁証論)であった。
ここで注目すべきは音楽が数学的学科として入っていることである。

参考文献
(1)金沢正剛[1998]「中世音楽の精神史-グレゴリオ聖歌からルネサンス音楽へ」 講談社選書メチエ
(2)伊東俊太郎[2006]「十二世紀ルネサンス」講談社学術文庫

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July 07, 2009

2009年版夏の暑中読書録-その47-ジャン・ジャック・ ルソー「社会契約論 」

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写真は「社会契約論」
ここ数年、気になっていてなかなか書けないかったのがジャン・ジャック・ルソーについてである。ルソーという人物は今日の我々から見ても大変わかりにくい人物のようだ。まず思いつく所を挙げるなら
(1)1712年生まれのスイス人である。
(2)いわゆる正規の教育は受けていない。
(3)音楽家である。ちなみに「むすんでひらいて」を作曲している。
(4)社会思想家であり、政治思想家である。
(5)教育思想家である。
(6)「告白」により自伝文学として世界文学史上に残る文学者である。
(7)日本には早くから紹介されておりなじみが深い。(中江兆民の「民約論」)
  しかし本当に一般に理解されているのかは疑問が残る。
といったことが言えるのかと思うのだが。。。
ルソーをこのうちの一つの切り口でのみ考えるとかえって混沌としてしまいそうだ。まるごと全体で考えると近づけそうだと思うのだがどうだろうか。やはりルソーは参加したプロジェクトにみられるように百科全書派の人なのである。
音楽についてはルソーは生涯ラモーと対立していたらしい。
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写真は「人間不平等起源論」
ルソーの思想が一つの頂点に達したのが「社会契約論」であるという。この本によって河野健二氏の解説によれば社会思想家および作家であったルソーが、近代を語る政治思想家となり「近代の父」となったという。(*)
百科全書派のメンバーとして出発したルソーであるが、「社会契約論」の中では百科全書派の理論の背景にあるプーフェンドルフロックの自然法理論には批判的でむしろ、ホッブスの思想に近い立場であったという。
「社会契約論」に至るまでにルソーは重要な著作をあらわしている。「人間不平等起源論」等である。ここで提示されている重要な概念は「自然状態」である。

(この稿未完)



(*)ルソー, 桑原・前川訳 [1954]p227

参考文献
(1) J.J. ルソー, 桑原武夫・前川貞次郎訳 [1954]「社会契約論 」岩波文庫
(2)J.J. ルソー,今野一雄訳[1999]「エミール(上)」岩波文庫
(3)J.J. ルソー,今野一雄訳[2000]「エミール(下)」岩波文庫
(4)J.J. ルソー,本田喜代治・平岡昇訳[2004]「人間不平等起源論」岩波文庫
(5) 桑原武夫編[1968]「ルソー研究」岩波書店
(6)海老沢敏[1986]「むすんでひらいて考―ルソーの夢」岩波書店

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2009年版夏の暑中読書録-その46-E.F. シューマッハー 「スモール イズ ビューティフル―人間中心の経済学」

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写真は「スモール イズ ビューティフル―人間中心の経済学」
鶴見和子氏の著作を通じ、玉野井芳郎氏の経済学での仕事を知った。_(*)玉野井氏の専門領域は、経済学史であったが、経済理論史の研究を深めれば深めるほど、規制の経済学を超えた領域へと飛翔する決意をお固められたとのことである。このように志されてから、67歳で亡くなるまでの期間は短いがその間の仕事は目覚しいものがある。その著作集の中のでシューマッハーの紹介がある。「その間、ドイツ生まれのイギリスの経済学者E・F・シューマッハー(E.F.Schumacher,1911~1977)が、ベストセラーの”Small is Beautiful”(小島、酒井訳[1986]をあらわして、まことに新鮮な問題提起をしました。シューマッハーはこう考えます。現代の産業を支えているテクノロジーはもとより、産業体制を担う企業組織も、政治も、すべてどれもみな人間の生存の問題を解決するどころか、その逆の方向を行こうとしている。環境を改善したり貧困をへらすためにこそ、もっと経済成長が必要だいうふうに考える人もいるが、そのような考え方は、このシューマッハーの言葉を用いると『前向きの大敗走』にほかならない、というのです。そこで、彼は、人間の背丈にふさわしい技術、人間の生活にふさわしい空間の再生を主張して、”小さいことは美しい”という命題を強調しました。そして巨大主義、物質主義に反対し、みずからロンドンに『中間技術開発グループ』を創設してこれを主催し、小規模で自然を破壊しない技術体系への転換を提唱しています。」シューマッハーの提唱したのは今日のような工業を支える巨大技術に代わる『中間技術(intermediate technology)』または『適正技術(appropriate technology)』といわれている。」(**)

(この稿未完)


(*)鶴見[1996]
(**)玉野井[1990]

参考文献
(1)鶴見和子[1996]「内発的発展論の展開」筑摩書房
(2)玉野井芳郎[1990]「玉野井芳郎著作集第4巻 等身大の生活世界」学陽書房
(3)E.F. シューマッハー , 小島慶三・酒井懋訳[1986]「スモール イズ ビューティフル―人間中心の経済学」講談社学術文庫
(4)E.F. シューマッハー,酒井懋訳[2000]「スモール・イズ・ビューティフル再論」講談社学術文庫

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July 06, 2009

2009年版夏の暑中読書録-その45-フレデリック・P. ブルックスJr. 「人月の神話―狼人間を撃つ銀の弾はない

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写真は「人月の神話」
先日、研究室を卒業し医療情報関係の情報システムのシステムエンジニアとして活躍している新進気鋭のK君と会う機会があった。談はソフトウェアの開発プロジェクトについて及んだが、フレデリック・P. ブルックスJr.の 「人月の神話―狼人間を撃つ銀の弾はない 」の話が出た。
通常のICT関係の技術の本というのはよくて三年ぐらいが賞味期限でそれをすぎるともう陳腐化してしまうといったことがよくある。ところがこの本が最初に刊行されたのは1975年で30年以上たった今日でもこの本の価値はさほど下がっていないというのはなぜだろう。残念ながらまだこの本の原著を入手していないが、原題は”The Mythical mon-month:essays on software engineering”となっている。業界でない人には”mon-month(人月)
”とは聞きなれぬ言葉だと思うが、今も昔もソフトウェアのプロジェクト管理のベースになるのはこの言葉だ。機会あって、ソフトウェアベンダーに職をもった某氏(33歳)と話していて、いまだそうだということを聞いた。まさにまだソフトウェアは神話の世界にあるような印象だ。この本の著者のブルックス氏は1931年生まれだそうだから、ソフトウェアが出現する草創期の人ともいえる。1944年、13歳で雑誌でハーバード・マークⅠというコンピュータの記事を読んでからブルックス氏のコンピュータ人生は始まったようである。そして、大学生になってIBMでアルバイトし、IBM604のプログラム実習と、IBM701のプログラム内蔵方式の最初のIBMマシンで正規のプログラム講習を受けたという。(*)
自分の場合は大学の数学科を卒業した姉が、就職で当時の就職先として大企業と、国立の研究所に合格して、その後国立の研究所に就職、電子計算機をやりだしたころから何となく気になりだしていた。昭和30年代後半(1960年代)になろうか。たしか日本の電機メーカーが国産で電子計算機に本格的に取り組みだしたのもこの頃からであろう。じだいはいわゆるメインフレームマシンの時代になっていった。
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写真は「ムーアの法則」出典:ウィキペディア

ご案内のようにコンピュータの技術発展はムーアの法則などのように目覚ましいものがある。もっとも」この技術発展は主にハードウェアについてであってソフトウェアについては疑問が残るようだ。
さて、この本は著者も言っているようにエッセイであって、論文、教科書的なものではない。したがって、読む方にある程度の経験や知識がないと読みにくいということなるだろう。しかし、解説があり冨澤昇氏の述べているところはよくまとまっており、手っ取り早くはこちらを読んだ方がいいということにもなろうか。さはさりながら、解説はあくまでも解説でありこの本の魅力が全て伝わるものではない。したがって、拾い読みでもいいから読むとその含蓄のほどが理解できるようである。欧米の本というのは技術的なものであってもいわゆるリベラルアーツの香りがするものでこの辺の伝統に薄い我が国ではすんなり受け入れるのが難しい。副題は西洋での伝説の狼男についていっている。
満月の夜になると突然普通の人間が狼に変身するというあれである。欧州にはこのほかにかのドラキュラ伯爵などの吸血鬼伝説などもある。
閑話休題。
さて、無敵の狼男であるがこれを退治するには銀でできた銃弾が良いとされているようだ。ソフトウェアの困難さに向かうのにたとえて、そのような手段がないということ言っているわけである。
ソフトウェアエンジニアリングについて語るときプロジェクト管理ということが重要になってくる。いずれも科学的なものなのかどうかは、いまだに議論の尽きぬところだ。有名なのは「ブルックスの法則」である。これもいろいろ解釈の難しい所で、確かにプロジェクトが難しくなってくると要員不足が必ず問題になる。ここで要因投入すれば問題解決かというとそういうものではないことはこの種のプロジェクトを経験した人なら予想のつくところである。

(この稿未完)



(*)ブルックスJr., 滝沢・富沢・牧野訳[2003]p284

参考文献
(1)フレデリック・P. ブルックスJr., 滝沢徹・冨澤昇・牧野祐子訳[2003] 「人月の神話―狼人間を撃つ銀の弾はない (Professional computing series (別巻3)) ピアソン・エデュケーション
(2)R・A・ハインライン、井上一夫訳[1985]「月を売った男」創元推理文庫

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July 05, 2009

2009年版夏の暑中読書録-その44-西條辰義編「実験経済学への招待」

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写真は「実験経済学への招待」
経済学がどういう学問であるかとはとても議論を呼ぶところである。簡単な比較で自然科学、その中で代表的な物理学と比べてどうだということがまず言えるだろう。その中で興味を呼ぶのが「実験経済学」である。西條辰義氏の編集による「実験経済学への招待」は2006年12月2日に東京大学で行われた「第10回実験経済学lコンファレンス」の成果を出版したものであるとのことである。この分野の第一線の研究者たちが初心者にもわかりやすくその研究内容を伝えているのは何と言っても本書の魅力だろう。確かにここに紹介されている研究は今話題の金融、排出権問題、オークション、公共財の問題など喫緊の問題を対象としている。おうおうに経済学の理論が現実の問題の後付け的な意味しか持っていないというのは何となく感ずるところであったが、これらの課題に経済学がどのように現実に於いて寄与できるかは極めて興味のある所である。
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写真は「実験経済学」

参考文献
(1)西條辰義編[2007]「実験経済学への招待」NTT出版
(2)川越敏司[2007]「実験経済学」東京大学出版会


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July 04, 2009

2009年版夏の暑中読書録-その43-ロマン・ロラン「ベ-ト-ヴェンの生涯」

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写真は「ベ-ト-ヴェンの生涯」
誰でも耳にしたことのある第5番ハ短調の交響曲運命がベートーヴェンの作曲によるものであることは多くの人が知るところである。いわゆる音楽通、クラッシック通でなくてもベートーヴェンの生涯は興味深いものである。高等学院の頃に岩波文庫のロマン・ローランの「ベ-ト-ヴェンの生涯」は一応読んでいたが40年ぶりに再読することとした。この本は短編のため初心者の自分などの知りたいことはずいぶんと割愛しているように思える。例えば、音楽の師匠筋であるバッハヘンデルモーツアルトとの関係などである。ロランのこの本はむしろ当時の欧州を取り巻く政治状況などを踏まえ、ベートーヴェンの生きた時代はまさにシュトゥルム・ウント・ドラングをまじかに経たころで古典主義からロマン主義への移行と重なるという。
この本ではベートーヴェンとゲーテの出会いは次のように書かれている。
「ゲーテとベートーヴェンとは1812年にボヘミアの温泉場テプリッツで遭ったのだが互いによく理解し合うことができなかった。ベートーヴェンの方ではゲーテの天才を熱烈に尊敬していたのに、彼の性格があまりに不羈で烈しいために必然にゲーテの心を傷つける結果になった。」(*)
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写真は「ルードウィヒ・B (1)」
さまざまな名作を生み出した手塚治虫氏であるが、個人の伝記的作品も残している。残念ながら絶筆となったベートーヴェンをモデルにした「ルードウィヒ・B 」などもその一つである。この本ではベートーヴェンに立ちはだかる人物として貴族のフランツ・クロイツシュタインという人物が登場する。この人物によってベートーヴェンの 宿痾となる聾病をもたらされることになる。子供の頃からピアノを習い、クラシック音楽の愛好家であった手塚氏でなくては書けない作品でもあろう。
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写真は「ルードウィヒ・B(2)」

(この稿未完)



(*)ロ-ラン 片山訳[1983]pp43-44

参考文献
(1)ロマン・ロ-ラン 片山敏彦訳[1983]「ベ-ト-ヴェンの生涯」岩波文庫
(2)手塚治虫[1994a]「ルードウィヒ・B (1) 手塚治虫漫画全集 (337)」講談社
(3)手塚治虫[1994b]「ルードウィヒ・B (2) (手塚治虫漫画全集 (338)」講談社

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June 30, 2009

2009年版夏の暑中読書録-その42-吉田秀和「名曲三〇〇選―吉田秀和コレクション」

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写真は「名曲世界三〇〇選」
さて読書と実体験に大きな開きのあることは当然ともいえる。一生懸命、万巻の水泳の入門書を読んでも実際に水に入ったことがなければ水泳がわからないのは自明のことだ。自分も生来の不器用でまず実践というよりも、先に本に当たるということ多かった。また、これらの入門書というのが大変面白く書かれており、一時自分の本箱の多くはこういった入門書とハウツー本であふれていた。さて、学問はともかく(本当は学問は生易しいものでないと自分のような老学生も薄々わかりだしているが。。)、いわゆる音楽、芸術という分野では本を読んだだけというのは通用しないだろう。さはさりながら、こういった本には格別の面白さがあるもの事実である。
西洋音楽についてはまったくの素人である吉田秀和氏の「名曲三〇〇選―吉田秀和コレクション」は最適な案内書である。
名曲三〇〇選の筆頭にくるのは「グレゴリオ聖歌」である。
あまたの名曲から三百曲のみを選び出すのは大変なことであるが、初学者には目標となりやすい。適当かは分らぬが深田久弥氏の「日本百名山」が同じような趣旨と考える。こういう本が書ける著者の条件は
(1)その分野に関する並々でない造詣があり、最新の動向もよく知ること。
(2)それに関連する分野の造詣
(3)すぐれた文章力
そして何よりも対象とする音楽(あるいは山)への愛情であろう。
その背景には人間に対する温かいまなざしということになろうか。
こうなるとなまなかなものが書けるものではない。
自分のような不案内な人間にとってもこの本はどこから読んでも面白いが、第一部というべき18世紀のバッハヘンデル以前の音楽について書かれている部分は面白い。例えば、我々が西欧に興味を持っているとしてもそれは近代の一端であって、その根幹にある中世以来の伝統に及ばない。
「されば、人間の声に発する音楽として、まずグレゴリウス聖歌をききたまえ」(*)
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写真は「私の好きな曲」
ぞういえば、音楽の授業で声楽や器楽というものは全くダメだったが、音楽史音楽理論というものは嫌いではなかった。「音楽を読む」ということは大変面白い。。
どの分野でも、芸術といえども技術の発展は大きな影響を与えるようだ。音楽についてはレコードが誕生する以前と以後ではずいぶんと様子が変わったであろう。吉田氏のレコード観が述べられているが面白い。
「私は正直いって、自分の趣味と考えとから、レコードより実演をはるかに、はるかに高く尊重するのであって、この二つを比較するのさえ気が進まない。」(**)
吉田氏は世にいうレコードで蔵を立てるといった収集家ではないようだ。300程度の気に入りのレコードが身近にあれば事足るというようである。本についても同様でこれまた数百冊程度の本が身近にあって、お気に入りの図書館があれば良しとされるようだ。この辺は自分も同感である。むろん経済的な理由もあるが「すっきり生きる」という態度は必要であると考える。無論、吉田氏は有名な指揮者や演奏家による実演を聞いているのだから、どっち(生演奏とレコード)がホントということもないようである。解説によれば、この本を書くことを薦めたのは新潮社の斉藤十一氏であったそうである。斎藤氏はレコードで聴かなかったものはないというほどのマニアであったらしい。その斎藤氏が吉田氏に白羽の矢を立てて書かせたのだから面白くないはずはないと合点するところもある。
バッハについては次のように語られている。
「バッハは、バッハの作品は、私にとっては、ヨーロッパ音楽のアルファでありオメガである。いや、始まり―というより土台であり、またその最高の究極である。私にとっては、音楽をきくということは、特にそれがヨーロッパ音楽である場合は絶対に、多かれ少なかれ、バッハの音楽をきいているとのその経験を土台にして、きいているといってよい。(中略)『音楽とは何か?ということを、自分はバッハの作品で知った」といっておけばよいのかもしれない。」(***)
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写真は「モーツァルトを聞く」
吉田氏のモーツアルトに関する思い入れはまたひとしおである。モーツァルトへ思い入れというとやはり小林秀雄氏の「モーツァルト」がまず考えられる。

(この稿未完)


(*)吉田[2009]p24
(**)吉田[2008c]pp9-10
(***)吉田秀和[2007]p198


参考文献
(1)吉田秀和[2009]「名曲三〇〇選―吉田秀和コレクション」ちくま文庫
(2)吉田秀和[2007]「私の好きな曲―吉田秀和コレクション」ちくま文庫
(3)吉田秀和[2008a]「モーツァルトをきく―吉田秀和コレクション]ちくま文庫
(4)吉田秀和[2008b]「世界の指揮者―吉田秀和コレクション」ちくま文庫
(5)吉田秀和[2008c]「世界のピアニスト―吉田秀和コレクション」ちくま文庫
(6)吉田秀和[1990]「モーツァルト」講談社学術文庫
(7)武満徹[2008]「武満徹エッセイ選―言葉の海へ」ちくま学芸文庫
(8)金沢正剛[1998]「中世音楽の精神史-グレゴリオ聖歌からルネサンス音楽へ」 講談社選書メチエ
(9)礒山雅[1990]「J・S・バッハ」講談社現代新書
(10)小林秀雄[1961]「モオツァルト・無常という事」新潮文庫
(11)西原稔[1995]「ピアノの誕生―楽器の向こうに「近代」が見える」講談社選書メチエ

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June 29, 2009

2009年版夏の暑中読書録-その41-デ・スピノザ,ベネディクトゥス「スピノザ エチカ 倫理学」

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写真は「エチカ」
「スピノザ エチカ 倫理学」を読んでいる。むかし、中央公論社の「世界の名著」に入っているのを通読したが今回はワイド版岩波文庫で読みだした。スピノザという人は17世紀にオランダで生まれた。出自はポルトガルでのユダヤ人迫害から信仰の自由のあるオランダに逃れてきたマラーノである。
「エチカ」という本は「ユークリッド幾何学」のような演繹体系Q.E.Dで書かれていて慣れないとそう読みやすい本ではない。
このような試みはデカルトが行っていて、スピノザはそれに発展させているとみることもできるようだ。

(この稿未完)


参考文献
(1)デ・スピノザ,ベネディクトゥス 畠中尚志訳[2006a]「スピノザ エチカ 倫理学〈上〉」ワイド版岩波文庫
(2)デ・スピノザ,ベネディクトゥス 畠中尚志訳[2006b]「スピノザ エチカ 倫理学〈下〉」ワイド版岩波文庫

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June 27, 2009

2008年版春の摘草読書録-その40-ケネス・ジョセフ・アロー「組織の限界」

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写真は「組織の限界」
ケネス・アローKenneth Joseph Arrow)の「組織の限界」は小冊子ながら、組織についての経済学からのアプローチでは古典的な著作になっている。アローの業績はいわゆる新古典派経済学の理論的基礎への貢献のみならなず、他の諸分野(社会学・政治学など)にも影響を与えている。アローという人は一般にはあまり知らていないが現代の経済学の分野では大変な人であるといってよいだろう。
アローは、経済学の理論的基礎から応用分野まで幅広い分野にまたがっている。どれも大変く重要な研究であり、厚生経済学の分野では有名な。「アローの不可能性定理(一般可能性定理)」として知られる社会選択理論への貢献がある。また、今日アカロフやスティグリッツというその後の人々につながる情報の経済学と言われる分野では先駆的な研究を行っている。また、戦中戦後、一時ランド社に所属しオペレーションズリサーチの分野でも華々しい活躍をしている。
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写真は「組織の経済学」

参考文献
(1) Arrow, Kenneth Joseph[1974]”The limits of organization” Norton(村上泰亮訳[1999]「組織の限界」 岩波書店)
(2)Milgrom, Paul R. [1992]”Economics, organization, and management” Prentice-Hall(奥野 正寛・伊藤 秀史・今井 晴雄・西村 理・八木 甫訳[1997]「組織の経済学 」NTT出版)

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